あまりにも怒らないので高校時代のあだ名が”仏のふく”だった、ビジネスコンサルタントとしてデビューしたばかりの福武義修です。
今回は、昨年1番といっていいデータ収集ができたお話をしたいと思います。
キリストはチベットにいた
ビジネスコンサルタントして活動しようとする前は、魂の神髄について教え世界平和を目指そうと思っていました。(今でも本気です🤣)
それをどうやって売り出すか考えていたらビジネスコンサルできるようになっていました。
その時どうしても繋げたい情報がキリスト教+輪廻転生だったのですが、
今ヨガも流行ってるしと思い『ヒマラヤ聖者とともに』(著・スワミ・ラーマ)という本を、何かヒントになるものがないかなと読んでいました。
すると、キリストはチベットにいたというくだりを発見しました。
インドに存在した聖者
そのほかにも、『ヒマラヤ聖者とともに』には驚くべきことがさらっと書いてあります。
- 瞬間移動
- 天候操作
- 落石を空中でとめる
- 寿命のコントロール
- 肉体を脱ぎ捨てる技術
など、枚挙にいとまがありません。
以前、日本でも一世を風靡した聖者サイババの謎もとけます。
インドで国葬された人物は2人いるらしいのですが、ノーベル平和賞のマザーテレサと、彼なのだそうです。
それでも日本ではインチキなどの声があがるというわけです。この矛盾に気づくことがはじめの一歩のような気がします。
ヒマラヤにおけるイエス・キリスト
本題にもどりますが、その中でも自分にとって重要な情報は3つありました。
そのうちの1つが、直接的な体験こそが真の叡智の源(p.86)、もう1つがイエス・キリストはヒマラヤにいた⁉(p.273)です。
もうひとつはまたの機会に書きます。
直接的な体験こそが真の叡智の源
これは作中で<牛とミルク>でわかりやすく説明してあります。
こんなにわかりやすい説明はないので次の機会に書きたいと思います。
イエス・キリストはヒマラヤにいた⁉
今回はキリスト教+輪廻転生のお話なので、”イエス・キリストはヒマラヤにいた⁉”を文中より抜粋して紹介します。
カシミールで最も高い標高にあるアルマナート寺院へ巡礼へ向かうことにした。アルマナート寺院は一年中雪におおわれる洞窟だ。
(中略)
学識豊かなカシミール人の学僧が旅のガイドだった。彼はイエス・キリストについて話はじめ、イエスはカシミールで瞑想して過ごしたことがあると主張した。
ヒマラヤの標高四、〇〇〇メートルの僧院に保管される、チベット語の経典にふれた。
この経典はのちにロシア人の著述家に翻訳され、さらに英語に訳されて、
『イエスの知られざる生涯』として出版された。ヒマラヤのこのあたりでは多くの人がこの話を信じており、あえて反論するまでもない。
付近には、イエスが瞑想したという山がある。ガイドの学僧はその論拠を三つあげた。
第一に、イエスの着ていたのが伝統的なカシミールの衣服であること。
第二に、イエスの髪型もカシミールのものであること。
第三に、イエスの行った奇跡の数々が、ヨギによく知られる奇跡能力であること。
学僧は、イエス・キリストが十三歳のいつ頃かに東方の修道会を立ち去り、
三十歳までカシミールの谷間で過ごしたと言った。それを信じていいかどうかは分からなかったが、確かに私もその見解をむげにはしたくなかった。
学僧のイエスへの愛ははかりしれず、彼と口論したくなかった。
そしてこれをさらに調べると、驚愕の事実に行きつきました。
行きついた驚愕の事実
といっても、私が知らなかっただけかもしれないですが…
4つに分けて紹介していきます。
1.聖書の改ざん説

ここにも書いてある通り、今の内容になったのはカルタゴ会議(397年)と考えるのが一番有力です。
しかし(3)から(4)への説明がいささか強引なように感じるのは私だけでしょうか?
ここでは、みなさんの意見を尊重するため、あえて私の意見は封印します。
こちらのURLを参考にしていただきたい。私の予想どおりの内容が書かれています。
2.キリストの12歳から30歳は一切不明という事実
1(聖書の改ざん説)を踏まえれば、よその土地で習ってきたものを受け入れることができるかどうか…。
排除されたと考えても自然です。
3.2007年に英国営放送「BBC」で放送

4.キリストの誕生日が12月25日と信じている人が多い
神様は重要なことは痕跡を残して謎かけを楽しまれる節があるようです。
多くの人が信じているキリストの誕生日に何の根拠もないということが、全てを物語っているようにも感じます。
そして最後に龍脈です。
筋が通っているかどうかどうか?
これらを総合的に分析してみると、キリスト教に輪廻転生思想があったと断定はできないものの、あったかもしれないという状況くらいは1(聖書の改ざん説)の(3)から(4)への説明よりも強引さはないのではないかと考えます。
この難題が半年かからずにここまできたことは、私には十分な成果でありました。
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